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生出神社に行くこと(付・八朔祭) [古社巡礼]

詳説、今回やってきたのは山梨県は都留市四日市場にある生出(おいで)神社。


祭神
・建御名方命(たけみなかたのかみ):風神男神
・八坂刀売命(やさかとめのかみ):建御名方命の妻、記紀(※)には登場せず。

※記紀:『古事』と『日本書』の総称。


祭神を見て、これではまるで諏訪神社ではないか、とお思いの方も多いだろう。
えゝその通り、この神社、元々は諏訪神社であった。

社伝によれば
「(郡内領主)秋元公に世継なくこの神社に祈願したところ世継が生れ大変喜ばれ生出ずる崇厳な神であるとして領主の威光を以って名を生出神社とした」とある。
建御名方命、八坂刀売命の両神にしてみれば、「領主の威光とは、何たる勝手であることか!」とお怒りかもしれぬ。
が、そこは、信仰心が増すならば、とさらりとお流しになされたようである。
流石は神様、お心が広い。


阿呆な冗談はさておき、この神社、建立は可也古い。
奈良時代の大宝三年(703)までさかのぼる。
生出川の頂に毎晩、光るものが見えた。
不思議に思って、正体を調べに行くと、妙な岩がある。
表、裏ともに灯籠の形がある(彫られていたのか、模様なのかは不明)
周りを眺めていると、突然、これまた奇妙な老人が現れた。
彼曰く「この岩を神宝として諏訪大明神を祀れば、この里は必ずや守護されるであろう」
村人はこのお告げに従い、山頂近くに社殿を造営し、名を諏訪大明神とした。
その後、何度か遷宮し社名を改め現在に至る……大体このようなものである。

まぁ地元ではそんな霊験云々よりも、この神社の祭典「八朔祭り」で有名である。
八朔という呼び名の通り、旧暦の八月一日(現在では九月一日)に行われる祭りで、勿論、県内屈指の有名な祭りの一つである。

さて、いやに長たらしい前書きになってしまった。
酔狂にもここまでお読みくださった方も、既にあくびをかみ殺し尽くしてしまった頃であろうから、この辺で実地に入ることにする。


石門

まずは石門のお出迎え。神社たるもの、鳥居がまず迎えねばならぬべきだ、と暗黙のうちに思っていたが、こうして見ると石門も悪くない。赤い鳥居が奥にこそっと控えている。なんとも謙虚そうである。




モデルの如く

先程、謙虚そうな鳥居だと思ったが、意外や意外、どっしりと構えている。如何にも自信ありげである。私がそう感じたのは柱が末広がりであるからに相違ない。この柱の傾きのことを「ころび」と云う。まぁ転ばぬ先の末広がり、と云う奴である。




総コンクリ

見るからに拝殿。ごく一般的な、普通の拝殿である。特筆すべきはなさそうであるが、敢えて云うならコンクリート造りであることか。確かに、如何にもな拝殿という感じはしない。部分的に見るならば、一般民家に見えなくも無い。




デコラティブ

拝殿の裏にくるりとまわり、本殿を眺める。屋根は銅板葺きの入母屋造りである。柱以外の至るところ、彫刻が施されていて見応えがある。建立は明和五年(1768)、江戸から来た彫物師に彫られたそうである。


このようなデコラティブな建築は江戸時代後期以降に広まったそうだが、ここの本殿は流行に敏感な御洒落さんだったと見える。ふん、やるじゃないか。
それはさておき、由緒正しき神社であるから、摂末社も比較的多いに相違ない。
境内をふらりと歩き回る。
さあさあ、面白いものはないか。


風神社と大室神社
風を司る級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長津姫命(しなつひめのみこと)を祀る。 伊邪那岐命と伊邪那美命を祀る。

風の神は暴風を鎮める、すなわち航海安全の神でもある。
また、一説によれば風邪予防のご利益もあるのだという。
カゼ、なるほど。

天神社と道祖神
学問の神様、菅原道真を祀る。余りに赤いから稲荷社かとも思ったが見事に外れ。 苔蒸し具合が素晴らしい。まるで抹茶をふりかけたようだ。いや、余りにも綺麗なものだから。


かつては末社として蚕影神社、ほうそう神社もあったようだが、見あたらず。

生出神社には御神体の石をはじめとした伝承や伝説は豊富であるが、史実として裏付け出来るような資料は乏しい、とのことである。
まぁ空想や妄想、夢想の余地のある話も悪くないじゃないか。
学者にしてみれば残念でならないかも知れないけれども。

全ては藪の中。




八朔祭りにて

昼間の大名行列が一番の見どころであるが、例のぼんやりで行き忘れる。何たる阿呆であることか! 夜は屋台と盆踊り。平日の夜であるにもかかわらず、大賑わい。これには閉口した。嫌なら行かねばいいものを、まったく筋の通らない奴だ。

昼間の大名行列のほどはこちらで。

都留市役所 平成20年八朔祭り
http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=7417




一部の人々の間でカルト的な人気を誇る「じゃがバター」。
上にかかっているのはバターと甘い田楽味噌である。
この写真を見た友人曰く

「その上のはプリンか?」

いやいや真逆も真逆、何とも想像力豊かな人である。



参考文献

川口謙二・池田孝・池田正弘『鳥居 百説百話』東京美術
倉野憲司校注『古事記』岩波文庫
都留市教育委員会編『都留市社記』
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金山神社に行くこと [古社巡礼]

「じゅんで~す」
「長作で~す」

「佐藤春夫でございます」

閃いたときは面白いと思った。
しかし後々考えてみると、どうにもハードルが高い。
まずうけないに相違ない。


さて、今回やってきたのは山梨県都留市上谷にある金山神社。

祭神
・金山毘古命(かなやまひこのみこと):鉱山をつかさどる男神
・金山毘売命(かなやまびめのみこと):鉱山をつかさどる女神
・天津日高日子穂々手見命(あまつひこひこほほでみのみこと):穀物の神、別名山幸彦(やまさちひこ)
・石凝姥命(いしこりどめ):鋳物、金属加工の神
・天目一箇神(あめのまひとつのかみ):製鉄、鍛治の神、ちなみに一つ目の神

このように主として鍛治に関する神が祭られている神社である。
創立年代は不明。ただ、元禄の末頃、この地に遷宮してきたのは確からしい。



台輪鳥居の憂鬱

石造りの台輪鳥居。(台輪鳥居については→)道路から一寸ばかり奥まったところに立っている。道幅から察するに奥に移されたと見える。道幅と鳥居の幅がちくはぐなせいで、鳥居が邪魔者扱いを受けているのが気に掛かる。鳥居の幅は易々と拡張できるものでもないし、かと云って鳥居をさらに移すわけにも行くまい。困ったものだ。




鉄柵のガード

鳥居保護のためか、がっちりと鉄柵で覆われている。外観を損ねてしまい残念ではあるけれども、交通量の多い道路の手前、致し方あるまい。よく見ると両柱には注連縄のようなものが怠惰に巻きついている。かつては繋がっていたのかもしれない。曲がりなりにも、ここは参道である。鳥居の権威が過去のものになりつつあるのは止むを得ないが、少し寂しい気もする。




根巻鳥居を叩いてみれば‥

限りなく一般道に近い参道を行くことおよそ250メートル、二の鳥居にたどり着く。妙にのっぽで、でっかい。先の一の鳥居よりも大きい。叩けば「かんかん」と音のする金属製。稲荷鳥居のような配色だが、柱の根元が別のパーツ(黒い部分)が巻きついているのを見るに、分類上は根巻(ねまき)鳥居としておくのが良いように思われる。おまけに屋根付き、洒落ている。




かつての名残

石段をかつかつのぼる。愈々参道らしくなってきた。左側の石塔が目に入る。「二十三夜」とある。

「二十三夜」
特定の月齢の日に仲間同士で集まり、月を拝む行事「月待ち」のこと。陰陽道や密教系の行事である。この場合は月齢が23(下弦の月)の日に行う。他には十三夜、十五夜、十七夜、二十六夜などがある。そのなかでも取り分け人気だったのがこの二十三夜だったそうである。




無駄に推理

半分ほどのぼったところで、踊り場のお出まし。いびつな、固く絞った雑巾のような柱の灯籠である。柱のいびつさはさておき、何か変な気分がする。そう、台座と灯籠がちぐはぐなのである。それから台座らしき跡が四つあるのも気になる。いや、元々灯籠はなかったのだとすれば、六つの台座。あゝ成程、奴か。




『都留市社記』より借用

その答えは『都留市社記』にあった。さあ見てくれ給え。察した通り、ここには前後に補助柱を備えた鳥居――両部鳥居があったのだ。「それで?」と云われても困る。「ここには両部鳥居があったのだ」ただ、それだけのことである。




亜鉛葺き

詰まらぬ御託を並べているうちに拝殿に到着。切妻のごく平凡な拝殿。屋根の色はくすんでいてはっきりとは分からないが赤茶色だろう。
話は変わるが、この神社には大層立派な神輿があるという。慶応2年の作で、市内随一と専らの噂である。そのうちお目にかかりたいものだ。




銅板葺き

流れ造の本殿。こちらも割と平凡な造りで、特に言及すべきことはない。


屋根はかなり緑青が芽吹いている。マァものは云いようである。 神紋は三つ巴。



何か足りぬ

適当に境内をぶらつく。敷地にそれほど余裕はない広さである。はて、何か足りないような気がする。狛犬だ。どうやらここに彼らはいないようである。その分、灯籠がどんと構えているわけか。


『都留市社記』によれば、境内社にとして稲荷神社と祭神不詳の小祠があるようだが、この狭い境内を一寸見回しても、見つからない。どこかに移されたか、それとも緑に埋もれたか、はてさて。
二の鳥居が赤いのはかつての境内社稲荷神社の名残なのかもしれない。
こじつけな、余りにこじつけな話だが。


色々考えさせられるところの多い神社であった。



和風なチェスをつくるとしたら、灯籠形のポーンというのはどうだろう?
勿論、ナイトは狛犬で。

まるで蛇足。



参考文献

川口謙二・池田孝・池田正弘『鳥居 百説百話』東京美術
倉野憲司校注『古事記』岩波文庫
都留市教育委員会編『都留市社記』


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トルコの魔除け「ナザール・ボンジュウ」のこと [雑貨]

詳説、今回は魔除けものの話。


ナザール・ボンジュウ(nazar boncugu)

トルコに古くから伝わる魔除けもの。邪視避けとして用いられる、マァ平たく云えばお守りや護符である。ガラス製。職人が一つ一つ手作りしているしているため、その表情も色々。白目の左側に気泡が入ってしまっているが、それもまた一興。ちなみに、ナザールは「目」ボンジュウは「ガラス玉」の意。風聞によれば紀元前には既にメノウ製のナザール・ボンジュウが存在していたという。現在のトルコでも玄関や軒先、車などそこかしこにぶら下がっているようである。



余談(1)邪視(じゃし)
邪視とは、人や物に災いをもたらす目(力)また、その信仰のこと。英語ではevil eyeと云い、悪魔の目、魔眼などと訳されることもある。中近東や地中海において特に多い信仰であり、他にもヨーロッパ諸国、アフリカの一部の地域にも見られる。日本や中国などのアジア圏ではさほどでない。



じー

じろりとこちらを見ている。愛嬌がありながらも何処となく気味の悪くも思える目である。
マァそれもそのはず、邪視除けなのであるから、悪魔をしっかり退散させてもらわなくては困る。愛嬌を振りまくのなら、「福笑い」でもできる業である。



余談(2)魔除けものの色
青や赤、黒、白が多く用いられる。また使われる色には地域差がある。
例えば、青い魔除け物はモロッコ、エジプトなどのアラブ諸国やイタリア、ギリシャなどの南ヨーロッパによく見られる。赤はアラブ諸国や南ヨーロッパ、スコットランドなど。黒や白は南ヨーロッパや南アジアに多い。イタリア、モロッコではこの4色が平均的に使われているようである。(要するに明らかな地域差が見出せなかったということ)
日本では赤いものが多いように思われる。青い魔除けというのは、一寸思いつかない。



至って平凡な裏側

これまた風聞であるが、このナザール・ボンジュウ、実はメデューサの目だという説がある。元々メデューサはリビアで崇拝されていた女神(蛇)であり、のちにギリシャへと伝わっているから、邪視信仰のメッカが中近東や地中海であることを考えると、あながち嘘という訳でもなさそうである。無論、議論の余地は大いにあるが深入りするのは余りに無謀であるから、今回はやめにしておく。それはさておき、するとメデューサは青い瞳であったのだろうか。彼女の容姿については多くの記述があるが、瞳そのものに関しては未だ聞いたことがない。石になった人にでも聞いてみなければ、このところは分からなそうだ。


また注目すべきは彼女の髪が悉く蛇である点。
動物の部分々々を寄せ集めのような姿をした怪物や妖怪は数多いが、蛇の髪とはまた大胆である。

因みに蛇が邪視使いであるという俗信はアジアのみならずヨーロッパやアメリカなどでもみられる。かなりメジャーな俗信である。この俗信が世界各地で自然に発生したにしろ、ひとところから広まったのかは定かではない。しかし、世界各地で共通な認識を持っているのは興味深い。

彼女の髪が蛇であるのは単に奇をてらったのではなく、やはり相応の意味があると見える。



玄関に吊るす

一先ず、吊るしてはみたものの、なんだかしっくりこない。邪視避けのために玄関ドアに吊るしたのに、これは逆に人の視線を集めそうである。外からドアののぞき穴を見ると、彼が応対するように設置したらどうだろう。これは可也、面白そうである。いや、必要以上に来客を追い払ってしまうか。
実際にこの目玉が邪視を睨み返したときには、ぱりんと割れるのだという。身代わりになってくれるのは大変ありがたいが、むしろ割れることのないのを祈るばかりである。



割れた破片が身に振りかかる――そう、実は二次災害の方が恐ろしいのです。



結局、室内に落ち着いたインドアなナザルボン。



参考文献

草下英明『星の神話伝説集』教養文庫
清水芳見「邪視研究の動向」『民族学研究』第48巻
南方熊楠『十二支考(上)』岩波文庫

南西第一公園に行くこと(悠紀斎田記念ノ碑) [物見遊山]

どうにも春という奴は不安定だ。
外出の度、雨に降られてばかりいる。

「春に三日の晴れなし」

全くその通り。昔の人は上手いこと云ったものだ。

詳説(さて)、今回やってきたのは山梨県甲府市上石田にある南西第一公園。
いやゝゝ、別にぽつねんと佇む遊具の「わびさび」ならぬ、「錆び」を見に来た訳ではない。

ここは明治天皇が大嘗祭を執り行った際に悠紀に選ばれた斎田の跡地である。
マァそれを観に来た訳だ。

説明は追々するとして、マァ行こう。


新嘗祭と大嘗祭

新嘗祭(しんじょうさい、又は、にいなめさい)は宮廷儀式の一つ。天皇が新穀を神様に供え、自身もまたそれを食すというもの。平たく云えば天皇が行う収穫祭。

大嘗祭(だいじょうさい、又は、おおなめまつり)は天皇即位後に初めて行われる新嘗祭のこと。
マァ至極当然だが大嘗祭は元号ごとに各一回きり。

それ故、天皇の代替わりの儀式という意味合いも兼ねている大事な行事である。



大嘗祭を執り行うにあたって、お供えする新穀を作る国郡を二つ選出する。
その選出方法は卜定、すなわち占いによって決められる。
選ばれた国郡はそれぞれ悠紀(ゆき)の国、主基(すき)の国という。
悠紀国は関東、主基国は関西から選ばれる。
悠紀は「主」、主基は「副」の意味合いがあると云われる。
因みに、畿内の国は今まで主基に選ばれたことがないという。うへぇ残念。

最後に、斎田(さいでん)とは供える新穀を作る田んぼのこと。



難儀な篆書体

正面には「明治天皇悠紀御斎田蹟」と彫られている。それも篆書体ときた。実にのっぽな石塔。何と読みにくいことか。尤も予想通りではあったが、これには一寸ばかり閉口した。




「うへぇ」な遭遇

旧字体まみれの格調高い、また読む者をげんなりさせる石碑。しかし、読まねばわざわざ来た甲斐もなし、埒も明かぬから一先ず読んでみる。

明治天皇即位之四年辛未十一月勅行大嘗祭豫卜定齋國以甲斐爲悠紀國於是甲府縣令土肥實匡欽而奉命擇巨摩郡上石田村字仲村之田六段有奇以爲斎田植標其四隅以戒汚涜焉乃命山田松之丈爲田係潔齋以膺耕耘隣保相助而従之晨夜匪懈風雨順時嘉苗賁興逮……(以下略)



閉口した。漢字まみれの斎田記念碑に閉口した!


(まるでペダンチックな意訳)
時は明治4年の11月、明治天皇は大嘗祭を執り行った。以下の話はそれよりも少しばかり前のことである。甲斐の国、今で云う山梨県は悠紀の国に卜定された。悠紀の国は大変重要である。それ故、悠紀の国に選ばれることは大変名誉であった。当時の県令……知事であった土肥實匡には朝命を受けて、この地に選定した。(県令が自ら選定したわけではないだろうが。)斎田に選ばれた六段の田んぼの四隅にはしるしが立てられた。斎田を潔斎するため、結界を張ったのである。山田松之丈という人が耕運係となり、日々精魂を込めてせっせと耕した。その甲斐あって、頭の垂れる立派な稲穂になった。地は稲穂で輝かしい金色一色、斎田は雲に覆われ、気がつけばもう秋であった。9月12日に白川資訓(すけくに)という勅使が来て、稲刈りの儀式……拔穂之式を行った。刈りとられた新穀は16日に都の斎場院の小屋へ収められたのであった。(了)

因みに、この斎田記念碑は大正11年3月に建てられたとのこと。
随分と時間の隔たりがあったようだ。



悠紀斎田跡付帯工事碑

明治天皇大嘗祭を行はせ給ふに當り山梨縣を以て悠紀に卜定せられ……こちらの碑は単なる古語で書かれており、まるで読みやすい。

(概略)悠紀斎田跡の記念碑建設の際、「どうせなら、このあたりの道路や橋も綺麗に整えようではないか。見たまえ、この退廃的な、余りに退廃的な町並みを。」との声があり、修繕工事も行われることとなった。それに掛かる工事費一万円は有志による寄付と県の補助金で賄われた。





今更ながらも

桜の林の満開の下(森ではなく、林)。何だか、少しばかり花の色が薄いような気もする。気のせいか。いやいや、養分が足りないのだよ、やはり。


碑の最後はこう締め括られていた。

「悠紀の田の 御跡を遺す いさをこそ この里人の ほまれなりけれ」


あい、ご尤も。

そんなこんなで悠紀斎田記念碑、それは里人の誉れの結晶なのであった。



もう、1ヶ月も前のことだがね、この桜の盛りは。
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子安八幡宮に行くこと [古社巡礼]

さて、今回やってきたのは山梨県甲府市国母にある子安八幡宮。
「子安」という名前から察するに安産祈願にとりわけ霊験のある神社のようだ。さあ行こう。




台輪鳥居

明神系の台輪鳥居。台輪(だいわ)とは柱の上にある円い部分のこと(矢印)。別名、稲荷鳥居とも云う。この台輪の無い場合は明神鳥居となる。しかし、鳥居の分類分けは難しい。神社ごと、一基ごとに意匠が異なるからだ。十人十色ならぬ、十基十色である。




八幡宮の証

手水舎に刻まれている三つ巴。これぞ八幡宮。それはいいとして、この手水舎かなり傷んでいる。味がある、というには少々無理がある。せめて水の出てくるところくらいは何とかしてほしいところだが。





ねじれた屋根

この手水舎を一寸離れた場所から見ていると、次第に不安定な気分になってくる。その訳はどうやら、屋根のせいらしい。何か訳あってねじれたのか、はたまた元々こういう意匠なのか分からないが、はてさて悩ましい。





狛犬達。こう云っては失礼かもしれないが、ひょうきんな顔をしている。
おまけにネクタイまで締めているとは、何とも洒落っ気茶目っ気十分なお方達である。




ご覧の通り

入母屋造の拝殿。至って普通である。しいて云うなら拝殿の前に赤い鉄門があることくらいだろうか。夜などは閉められるようである。





底抜け柄杓

お参りをすませ、ふと上を見るとそこには底の抜けた柄杓が。底抜け柄杓では水がさらりと流れる、すなわち子供もすんなりと安産でありますように、という願いが込められているらしい。船幽霊は関係ないようだ。



船幽霊:船を沈めようとする幽霊。
彼らは船を見つけると大抵、次のように云ってくる。

「悪いけんど、柄杓貸してくりょお。一寸柄杓貸せし」

怖いからといってうっかり柄杓を貸してしまうと一大事。
たちまち水を汲みいれられて船を沈没させられてしまう。
防ぐには底抜けの柄杓を渡すと良いという。


幸か不幸か、山梨は海無し県であるから(山はある)船幽霊はマイナーだろう。
もしかしたら富士五湖には、そういう話があるかも知れない。(僕は聞いたことはないが)




与太話はさておき

流れ造の本殿。こちらも特筆すべきところのなさそうな、至って普通である。イヤァ神社も十社十色であるから、普通ということはないのだが、要は僕が見出せないということだ。



実はこの本殿の周りはぐるりと垣で囲まれている。
だのにどうしてこういう写真が撮れるんだろう。

うむう、これぞ不思議……ではない。
何のことはない。垣の隙間から撮れば(覗けば)いい訳だ。


そうそう不思議なことなどないのだよ、天狗君。



それはさておき、ここの境内は横長である。
奥行きはあまりないのに、横にやたら広いのだ。
まずは、入り口から見て右側を見てみる。




強固な守り

滑り台、シーソーなどの遊具があり、子供等の遊び場でもあるようだ。どうやら前例があったと見た。凶悪なラグビーボールや非道なサッカーボールなどが拝殿に危害を及ぼさないよう、拝殿の側面にはフェンスが設けられたわけだ。公園併設ならではの神社である。





那賀都

末社の那賀都神社。拝殿本殿らしいものは見あたらず。賽銭箱もない。




一方、境内の左側はというと




畑か花壇か

畑か、はたまた花壇なのか判別は付きかねるが、意図的に耕されているのは確からしい。あれこれ詮索するのは野暮に思えたので、このまま放っておくことにした。





末社?

ぽつんと建っている。どうも倉庫というわけでもないようだ。何かが祀られているようだが詳細は分からない。拝殿本殿のない末社の那賀都神社をここに移すというわけには、いかぬのだろうか。境内の右側の方が日当たりがいいから、ここは嫌だと云うかも知れない。(そういう問題ではないだろう)





一寸、気になること

「甲斐之国 下石田」と刻まれている。今、この場所の地名は「下石田」ではなく「国母」である。道一本向こう側が下石田である。区画整理による町名変更のせいか、または合祀されて今の場所に、のどちらかといったところだろう。



ここには掲示板らしきものはなく、由緒などは分からずじまい。
マァそんなのは良くあることであるから、大したことではない。

狛犬、手水舎、横長な境内などなど、突っ込みどころ満載な神社であった。



忘れ去られた遊具(名は……失念した)
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船形神社に行くこと [古社巡礼]

さて今回は山梨県甲府市国母にある船形神社。
船形というのは、はて、一体なんだろう。
マァともかく行ってみることにしよう。


おませな鳥居

右足をちょっと突き出している、ちょっとおませな明神系の島居。写真はちょっと引き気味に撮っているが、鳥居は割と小さめである。安政三年(1856)に建てられた、とのこと。随分年季の入った鳥居である。ふと、上を見上げれば柿の木が。渋柿だろうか、まだ実をつけて枝をしならせている。これでは勿体ないお化けが出てもおかしくないというものだ。



銀杏通り

妙に長い参道をかつかつと往く。参道にはおびただしいほどの銀杏が。もうこれはイチョウのマキビシである。うっかり踏んでしまったら一大事。気をつけねば。ヒイラギや桃の木は鬼除けの木である。しかし、イチョウ(の実)は人間除け、もとい、天狗除けなのかもしれない。ふと、そう思った。



すらりと

ごてごてとした装飾の類のないシンプルな拝殿。至って普通である。ただ気になるのは、そう、天気である。拝殿とはまるで関係ないが、ともかく一雨来そうだ。



本殿とはうってかわって

屋根のデザインがちょっと変わっている本殿。何だか入り組んでいて、言葉では説明しにくいが、マァそういうデザインだ(右図)。



狛犬達。
船形の意味について尋ねてみたが、返事がない。
ただのこまいぬのようだ。

自分で探れということのようなので、境内を探ってみる。


ずらりと並んだ祠

全部で六社ある。それら前には境界を示す注連縄が。結構な距離だ。木と木の間に張るというのは面白い。はて、一つだけ向きの違う祠がある。大したことではないような気もするが、そうは云っても何だか気になってしまう。『徒然草』にでてくるようなわんぱく坊主の仕業だろうか。



三つ巴

拝殿の屋根にある神紋は三つ巴。巴は弓を射る時に使う鞆(とも)を形取ったものだと云われている。それが後に八幡神の神紋として用いられるようになったそうである。八幡神といえば源氏の氏神。弓矢が武神の八幡神に通じるわけだ。すると、この船形神社も八幡神(応神天皇)を祀っているということか。必ずしも巴紋=八幡神社というわけではないが、あながち無関係とも云えまい。



さっぱりだ

境内はさっぱりしている。少し離れた所には遊具や集会所がある。地面も些か砂っぽい。マァ普通、学校に神社はないと思うが、ここは何だか校庭の隅のような気さえしてくる。


しばし、うろうろしてみるも、他にめぼしいものは見当たらず。
掲示板らしきものもない。
分からないことだらけだったが、たまにはこういうのも良いものさ。
また来よう。



その 祠の奥の茂みには…



魚?風船?
場違いすぎて吃驚。




おまけ

『無何有の果て文学集』


「雪国」


一刻ばかりの惰眠を抜けてホームに降り立つと、そこは雪国であった。
(本当に降っている!)
頭の中まで真っ白になった。



(了)


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出雲大社に行くこと [古社巡礼]

さて、今回やってきたのは山梨県甲府市宝にある出雲大社。
県内唯一の出雲大社とのこと。ほう。

今回は幸運なことに、宮司さんに色々お話を聞くことができた。感謝千万。
そんなわけで今回は宮司さんの語り(括弧内)付き。


社号はどっちだ

実は、よく見ると一の鳥居には“富士神社”と書かれている。しかし、奥にはでかでかと“出雲大社”とある。一体どっちなのだろう?

「元々は、富士神社でした。富士神社ができたのは今から25、26年前です。富士神社というのは、○○教会というものでして」

この場合の○○教会というのはchurchのことではない。
出雲大社教における分祠・分院・教会・講社の布教機関のことらしい。
講社よりも規模の小さい布教機関を教会という。
マァ平たく云えば出雲大社(教)山梨支部ということだ。


ひと安心

二の鳥居はちゃんと出雲大社となっている。まずは、ひと安心。

「祭神は大国主神、そう大黒様です。他に大己貴神や大物主神とも云います。大黒様というと縁結びの神様として有名ですが、これは何も男女の縁に限りません。すべてのもののつながりを司っているのです」

『古事記』では大国主神(オオクニヌシノカミ)、『日本書紀』では大己貴神(オオナムチノカミ)と書かれている。あゝ、葦原醜男(アシハラノシコオ)なんていう呼び名もある。
やれやれ、読む側からすれば何とも面倒な話である。

「例えば、病気に罹ったとします。良い医者に出会うのも縁だし、良く効く薬に出会うのも縁なのです」

ありとあらゆる出会いのため、大黒様は日夜、力を尽くされておられるわけだ。
ありがたや、ありがたや。


さっぱりした拝殿

拝殿は意外にシンプル。特に出雲っぽいという雰囲気もない。ごく普通な神明造りのようだ。出雲大社というと極太の注連縄というイメージがあるが、はて、見あたらない。やや拍子抜けである。


狛犬たち。


ほんで、次に本殿

こちらも割と普通だ。ふむ。拝殿のときにも思ったが、柱などの切り口が白く塗られている。これは何だ?

「はい、それは特に意味はないのですよ。切り口から腐るのを防ぐためです」

防腐のためだったとは、これは予想外。白くて目立つから何か意味があるのだとばかり思っていた。しかし、目立たない色で塗ってもよさそうなものだが。はてさて。





これぞ富士神社

本殿の横にひっそりと佇む富士神社。末社と呼んだ方が良いかもしれない。ところで、この“富士”というのは何だろう。もしかして富士山のことか。すると、浅間神社とも関係してくるのだが。



深読みであった

「富士というのは、この神社を建立した人名です。こちらの像がその富士婦人です」

なるほど、人名か。これは盲点だった。さっきの仮説は脆くも崩れ去った。あははのは。
おや、像には“長田夫志之像”とある。はて、旧姓が富士ということだろうか。うっかり訊き忘れてしまったがおそらく、そうだと思う。



分かりやすい話は続く

「神社には出雲系と伊勢系があります。出雲系は天上界にいる天つ神を祀っています。伊勢系は地上にいる国つ神、あとは人物を祀っていて、ほら、武田信玄を祀っている武田神社もそうです。あと、護国神社なんかもそうです。終戦後は伊勢系は大変だったようです。GHQからかなり狙われたみたいで、例えば山梨護国神社は一時期、山梨神社と名乗っていたそうです。出雲大社は祀っている対象が違ったし、政治なんかとの絡みもありませんから、お咎めもなかったのです」


これは、ちょっと面白い話を聴けたぞ。ふふん。


糸紙垂

「だから、出雲系と伊勢系では形式もかなり違うんです。紙垂?うーん、ここのは普通のです。まぁ紙垂にも色々種類がありまして、あっ、ちょっと待ってて下さい(社務所に行き、しばらくして戻ってくる)如何ですか?これは糸紙垂(いとしで)と云います。ほら、糸みたいに細長いでしょう」

おそるおそる写真撮影を願い出ると、快く許可してくださった。感謝千万。
最初は手に持っていてもらったのだが

「あっ、こっちの方が良いかもしれませんね、画になるでしょう」

と、木の枝に吊るしてくださった。
自分が写されるのがちょっと恥ずかしかったからかもしれない。
色々とお心遣い、有り難うございます。


花のことはあまり存じない

これはあの有名な“難を転ずる”という、南天か。これを見ると、如何にも冬(新春)だナァと思う。おぉ、風が冷たい。なんだかんだでもう一時間近くここにいる。通りで寒いわけだ。では、そろそろお暇いたそう。

などと思いきや、こやつは南天ではなく、ピラカンサスというらしい。
何だか違うような気もしていたが、悪い予感は的中してしまった。
これは恥ずかしい。うへぇ。


こんなに素敵な宮司さんに会えたのも、出雲大社の大黒様のおかげだ。
そう実感させられたけーうであった。どうも有り難う御座いました。




宮司さんにいただいた瓢箪。
さて、どう使おうか。


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豊栄稲荷神社に行くこと [古社巡礼]

さて今回やってきたのは東京都渋谷区にある豊栄稲荷(とよさかいなり)神社。
前回の金王八幡宮にほど近い、というより目と鼻の先、道一本をはさんだ隣にある神社。
マァ前回の続きのようなものだ。


雰囲気よし

石段は黄色い枯葉のジュータンが敷かれている。ふふん、綺麗だ。前の道路が妙な勾配だ。ええと、道玄坂だったか、うーん、よく分からん。マァ何でもいいか。両側の木が一の鳥居を覆っている。なかなか良い面構えをしている。これは男前だ、きっと。小さい神社のようだが、期待できそうだ。



これぞ稲荷神社

わくわくしつつ、朱い鳥居をくぐって行く。黄色い落ち葉と朱色の鳥居、緑の木々の調和が見事だ。おや、百度石があるではないか(左下)。

百度石【ひゃくどいし】
百度参り(百回参拝する)をするためのもの。この石の上に目印になるものを置き、参拝した回数を数える。いわばカウント計。

ということは百個の目印が必要になるわけだが、あいにく持ち合わせていない。今回はパスだ。

マァそれはいいとして、この百度石に百個も目印を載せられるだろうか。
どう見積もっても厳しそうである。
おまけに天辺は傾斜がついた四角錐ときた。
困ったものだ。


朱づくし

ひっそりと佇む手水舎。奥にはずらりと提灯が。本当に朱づくしだ。どうも血が騒いでしまう。闘牛か、僕は。



やっぱり朱かった

拝殿に到着。見るからに朱い。うむ、朱い。そうとも、朱い。あまりの朱づくしにまいったせいか、感想らしい感想が浮かばない。困ったものだ。


ぼうっとしていると、お狐さまが話しかけてきた。

「ここは、かつては彫外稲荷、田中稲荷などと呼ばれていたのはご存知か?」
「うへぇ、初耳です」
「うむ。もう一つ教えてあげよう。この神社は元々、別の場所にあってな」
「ほう、なるほど。移転したのはいつです?」
「マァ焦りなさんな。たしか昭和36年だったかの」
「完璧ですね。金王八幡宮でいただいた『参拝の栞』通りです」
「なっ、人を試すでない」
「人じゃなくて狐でしょう?」
「ふん、詰まらぬことを云いおって」

たまにはこういうのも悪くない。


13基の庚申塔

ずらりと並んだ庚申塔。全部で13基ある(写っていないが)。どれも延宝二年(1672)から元文四年(1739)までにつくられたもの。戦後、今の場所に神社が移転した際に、周辺にあった庚申塔をここに集めたのだとか。ちなみに奥に見えるフェンスは金王八幡宮の境内。



境内

小さいながらも、なかなか赴き深い境内。朱い鳥居はまだ増えるのだろうか。このままだと拝殿に直結してしまいそうだ。



何処も彼処も

どうにも提灯が多い。ちょうちんおばけが出そうなくらいだ。よくみると、名前が書かれている。なるほど、提灯で奉納するわけか。たしかに、鳥居の奉納はそろそろ限界のようだしな。


境内は小さくても、でっかい信仰心に支えられている神社であった。

夜は提灯に明かりがともるのかしらん。


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金王八幡宮に行くこと [古社巡礼]

ぼやぼやしていたら、もう12月。
というより、新年間近。
困ったものです。

さて、今回やってきたのは東京都は渋谷区の金王八幡宮。
金王は「こんのう」と読む。「きんのう」ではない。
この「金王」は金王丸常光という人名に由来している。

【金王丸常光】
平安時代末期の武将、僧侶。両親が八幡宮に祈願し続けて霊夢に金剛夜叉明王をみて産まれた子なので、金王と名づけられたとか。出家後は土佐坊昌俊と名のる。源義朝に仕えて保元の乱に参加、大功を建てた。源頼朝の命を受けて源義経暗殺を謀るも失敗、捕えられて散り果てた。

前説はこのくらいにして、さあ行こう。


普通って云うなあ!

鳥居は至って普通な明神系の八幡鳥居。マァ八幡宮だから当然だが。元々は渋谷八幡宮という社名だったが、金王丸の名声にちなんで金王八幡宮に変えたとのこと。ほう。この辺りでは相当な力を持っていたという訳だ。



御神門

通称、赤門。派手すぎない赤色が素敵だ。江戸中期頃に建てられたもので、春日局(徳川家光の乳母)の奉納だとか。それから何度か修理しているらしいが、なかなか綺麗だ。個人的にはかなり好みの御神門である。



手水舎の番人

手水舎には龍が。何とも迫力のある龍だ。しかし、口から水を吐いている姿はちょっと間が抜けている気がしないでもない。ひげがm字になっているのもどことなく可愛い。ちょっと触ってみようか、うーん、誰かがやめろと云っているような気がする。では、やめておくか。



狛犬だ。わりと色黒である。

「そこの軸ぶれ天狗や、龍の逆鱗に触れるところだったぞ、気をつけんか」
「おや、上手いことを云いなさいますナァ、狛犬殿」
「たわけ。まったく最近の輩ときたら……なやましい」

逆鱗とは、龍のあごの下に1枚だけ逆さに生えている鱗のこと。触ると殺されてしまうのだ。
神社では本当に「逆鱗に触れる」ことができるから、気をつけなくては。


拝殿

この御社殿は江戸初期(1612年)に建てられたもの。赤と緑と金色が実に鮮やかだ。龍の装飾や屋根も凝っている。お賽銭も少々はずむ。


(龍神様の逆鱗に触れることがありませんように)

祈願も済んだところで、境内をふらふらしてみる。


金王桜

掲示板によれば、長州緋桜という種類の桜で5~7枚の花弁を持つのだとか。源頼朝が金王丸の名を後世に残そうとして鎌倉の亀ケ谷の館の憂忘桜(うきわすれざくら)を移植し「金王桜」と名づけた、とのこと。江戸時代には郊外三名木として有名だったそうだ。今は区指定天然記念物になっている。マァこの時期に見ても別に面白くもないのだが、春になったらまた見に来ることにしよう。


奥に見えるのは社務所。なんと宮司さん常駐である。
いや、それが本来のあるべき姿なのだが。

折角だ、この神社について色々と話を聞く。
イヤァためになるなる。
由緒書きもいただき、上機嫌。
とても親切にしてくださった宮司さんに感謝千万。




御嶽社と玉造稲荷社。
この稲荷社は鳥居のかわりに旗がずらりと立てられている。
これはこれで面白い。
「玉造」というのは、勾玉のことか。
もう少し深入りしてみたいところだが、出雲まで飛んでしまいそうなのでやめておこう。


神楽殿

拝殿と比べると随分、質素である。毎年9月の15と16日に例大祭が行われてかなり盛り上がるそうである。この神楽殿でも舞の一つや二つとり行われることだろう。



金王丸御影堂

境内のやや奥まったところにある方形の小さなお堂。金王丸を模した木像が安置されている、とのこと。ほう。そういうのって事前に連絡しておけば、見せてくれるんだろうか。やんわり断られそうだが、掲示板などに○○がある、と書いてあれば、やはり見たくなってしまうというものだ。



静かな境内

渋谷駅から徒歩で10分ほどという近さでありながら随分静かである。うっかりすれば、この神社が渋谷にあるということも忘れそうなほどである。しかし、ちょっと上を見まわせば高層ビルだらけ。なんとも不思議だ。


都会の喧騒に負けることなく、すくっと立っている神社であった。






ケフィア。いいえ、勾玉です。
翡翠。いいえ、ソーダライトです。

一度云うてみたかった。
一寸、乗り遅れてますがね。


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コーヒー七変化のこと [喫茶]

もうすぐ十二月だ。
小雪も過ぎ、冬将軍も装備を整えつつある。
甲州街道の木々も…

以下略。

モノトーンな冬に向けて珈琲くらい、ぱあっと明るくしてみても悪くないだろう。
そこで簡単で美味しそうな珈琲のアレンジをやってみることにする。

題して「珈琲七変化」

ヤマトナデシコではない、珈琲だ。


【一】檸檬珈琲

珈琲にレモンを入れるというもの。意外に思うかもしれないが、これがなかなか良い。後味がさっぱりするのだ。何も輪切りの檸檬でなくてはならないということはない。写真のようなレモン汁でも良いではないか。ゴミも出ないし。一杯に2、3滴くらいが適量か。



【二】マシュマロ珈琲

ごく簡単。マシュマロを入れるだけ。マシュマロがじゅわじゅわ云いながら溶けていく。甘い香りがカップから溢れる。いい香りだ。このとろけたマシュマロが…気持ち悪い。よおくかき混ぜて飲んだ。しかし、このマシュマロ変わったデザインだ。(マァ選んだのは僕だが)ふむ、ツイストだ。いや、世良公則ではない。

そういえばマシュマロをあぶって食べるというのがあるが、どうなのだろう。
僕は珈琲でとろけたマシュマロは駄目だったので、焼きマシュマロも駄目な性質かもしれない。
ということは、焼きマシュマロが好きな人はこのマシュマロ珈琲、相性良いかもしれないナァ。


【三】紅茶珈琲

珈琲に紅茶を混ぜる。香港などでは良くやるアレンジとのこと。持ち合わせのアールグレイを混ぜてみたが…むむむ。結論から言えば相性は悪い。相克だ。匂いもなんだか混沌としているし、苦くて渋い。な、なやましい。ダージリンやアッサムなど、あまり癖のない紅茶とだったら合うかもしれない。



【四】金平糖珈琲

ごく簡単。砂糖のかわりに金平糖を入れるだけ。マァ味はそんなに変わらないが、見た目はとても華やか。些か心が踊るというものだ。金平糖がぽっかり浮かんでくれると、一層華やかだと思うが、マァ構造上無理か。浮く金平糖…あまり需要がなさそうだが、はてさて。



【五】きな粉珈琲

きな粉とミルク、ハチミツを入れるだけ。きな粉を牛乳に入れるのはよくあるが、珈琲に入れても悪くない。カプチーノとはまた違うまろやかさがある。和風な珈琲だ。注意すべきはよくかき混ぜること。きな粉がだまになっていると、これがもう粉っぽいの、粉っぽいわで美味しくないのだ。



【六】バター珈琲

バターとハチミツを入れるというもの。これは、うむむ、何ともいえない。珈琲がこってりしたという印象…ってそのままか。ちょっと重い珈琲が飲みたいときは良いかもしれない。個人的には油っこいのはあまり好きではないので、敢えてやろうとは思わないが。

そうそう、ひとつ気がついたのがハチミツは意外に甘くないのだということ。イヤァ勿論、単体で舐めたら甘すぎるくらいだが。珈琲に入れた場合、同じ量では上白糖やコーヒーシュガーなどの方が甘い気がする。


【七】ジャム珈琲

ジャムを入れるだけ。マーマレードで渋く攻めてみる。思いのほか、檸檬珈琲が良かったので、柑橘系なら意外と合うかも知れない、と思ったからだ。うむ、意外に悪くない。口の中に珈琲の苦さにオレンジ甘さがふわりと広がる。個人的には好きだ。ただ、やはりジャムを入れすぎるとすっぱくなってしまうので注意。

これジャム珈琲というよりオレンジ珈琲かもしれない。
そう云えば、紅茶にジャムを入れて飲むロシアンティーというのがある。
するとこれはロシアン珈琲か。
マァ大した問題ではないが。

しかし、マーマレードが好きという人、一体どれくらいいるんだろうか。
そういう人に出くわしたことが殆どない。

ま、まさかマーマレード好きは例のチュウニビョウだというのか…。
イヤァ確かにブルーベリーの方が好きだが。
でもマーマレードのひと癖のある味も捨てがたい。
…うむ、至極どっちでもいい話だ。

てな具合に強引に7種類ほどやってみたが、檸檬珈琲は割とおすすめ。
泡立てたり、表面に絵を描くのも良いが、こういったアレンジも如何かな?




~閑話休題(話はかわって)~

最近やたらと検定が流行である。
個人的にはそういうブームに便乗するのはあまり好きではないだのだが、マァものは試しだ。
食わず嫌いは良くない。

ネスカフェの「日本人は、うるさい」プロジェクト(←別窓で開きます)の「うるさい検定」というのをやってみる。

至って簡単。
3択の質問に答えていくだけ。
所々選択肢が妙なのは気のせいか。

ふむ。結果はというと


風流人タイプ

「どんな些細なことも、うるさい心をもって楽しんでしまう」とのこと。…なんて面倒な奴なんだ。「周囲のうるさい人たちからも一目置かれる存在」とある。…いや、これは浮いた存在で、実のところ少々煙たい奴ということか。マァ当たっているな。

しかしこれ、検定というよりも性格判断だとか○○占いのようなものだと思うのだが…。

ネスカフェ「日本人は、うるさい」プロジェクト
http://urusai.jp/index02.html

「うるさい検定」
http://urusai.jp/kentei/index.html


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