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南西第一公園に行くこと(悠紀斎田記念ノ碑) [物見遊山]

どうにも春という奴は不安定だ。
外出の度、雨に降られてばかりいる。

「春に三日の晴れなし」

全くその通り。昔の人は上手いこと云ったものだ。

詳説(さて)、今回やってきたのは山梨県甲府市上石田にある南西第一公園。
いやゝゝ、別にぽつねんと佇む遊具の「わびさび」ならぬ、「錆び」を見に来た訳ではない。

ここは明治天皇が大嘗祭を執り行った際に悠紀に選ばれた斎田の跡地である。
マァそれを観に来た訳だ。

説明は追々するとして、マァ行こう。


新嘗祭と大嘗祭

新嘗祭(しんじょうさい、又は、にいなめさい)は宮廷儀式の一つ。天皇が新穀を神様に供え、自身もまたそれを食すというもの。平たく云えば天皇が行う収穫祭。

大嘗祭(だいじょうさい、又は、おおなめまつり)は天皇即位後に初めて行われる新嘗祭のこと。
マァ至極当然だが大嘗祭は元号ごとに各一回きり。

それ故、天皇の代替わりの儀式という意味合いも兼ねている大事な行事である。



大嘗祭を執り行うにあたって、お供えする新穀を作る国郡を二つ選出する。
その選出方法は卜定、すなわち占いによって決められる。
選ばれた国郡はそれぞれ悠紀(ゆき)の国、主基(すき)の国という。
悠紀国は関東、主基国は関西から選ばれる。
悠紀は「主」、主基は「副」の意味合いがあると云われる。
因みに、畿内の国は今まで主基に選ばれたことがないという。うへぇ残念。

最後に、斎田(さいでん)とは供える新穀を作る田んぼのこと。



難儀な篆書体

正面には「明治天皇悠紀御斎田蹟」と彫られている。それも篆書体ときた。実にのっぽな石塔。何と読みにくいことか。尤も予想通りではあったが、これには一寸ばかり閉口した。




「うへぇ」な遭遇

旧字体まみれの格調高い、また読む者をげんなりさせる石碑。しかし、読まねばわざわざ来た甲斐もなし、埒も明かぬから一先ず読んでみる。

明治天皇即位之四年辛未十一月勅行大嘗祭豫卜定齋國以甲斐爲悠紀國於是甲府縣令土肥實匡欽而奉命擇巨摩郡上石田村字仲村之田六段有奇以爲斎田植標其四隅以戒汚涜焉乃命山田松之丈爲田係潔齋以膺耕耘隣保相助而従之晨夜匪懈風雨順時嘉苗賁興逮……(以下略)



閉口した。漢字まみれの斎田記念碑に閉口した!


(まるでペダンチックな意訳)
時は明治4年の11月、明治天皇は大嘗祭を執り行った。以下の話はそれよりも少しばかり前のことである。甲斐の国、今で云う山梨県は悠紀の国に卜定された。悠紀の国は大変重要である。それ故、悠紀の国に選ばれることは大変名誉であった。当時の県令……知事であった土肥實匡には朝命を受けて、この地に選定した。(県令が自ら選定したわけではないだろうが。)斎田に選ばれた六段の田んぼの四隅にはしるしが立てられた。斎田を潔斎するため、結界を張ったのである。山田松之丈という人が耕運係となり、日々精魂を込めてせっせと耕した。その甲斐あって、頭の垂れる立派な稲穂になった。地は稲穂で輝かしい金色一色、斎田は雲に覆われ、気がつけばもう秋であった。9月12日に白川資訓(すけくに)という勅使が来て、稲刈りの儀式……拔穂之式を行った。刈りとられた新穀は16日に都の斎場院の小屋へ収められたのであった。(了)

因みに、この斎田記念碑は大正11年3月に建てられたとのこと。
随分と時間の隔たりがあったようだ。



悠紀斎田跡付帯工事碑

明治天皇大嘗祭を行はせ給ふに當り山梨縣を以て悠紀に卜定せられ……こちらの碑は単なる古語で書かれており、まるで読みやすい。

(概略)悠紀斎田跡の記念碑建設の際、「どうせなら、このあたりの道路や橋も綺麗に整えようではないか。見たまえ、この退廃的な、余りに退廃的な町並みを。」との声があり、修繕工事も行われることとなった。それに掛かる工事費一万円は有志による寄付と県の補助金で賄われた。





今更ながらも

桜の林の満開の下(森ではなく、林)。何だか、少しばかり花の色が薄いような気もする。気のせいか。いやいや、養分が足りないのだよ、やはり。


碑の最後はこう締め括られていた。

「悠紀の田の 御跡を遺す いさをこそ この里人の ほまれなりけれ」


あい、ご尤も。

そんなこんなで悠紀斎田記念碑、それは里人の誉れの結晶なのであった。



もう、1ヶ月も前のことだがね、この桜の盛りは。
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加牟那塚に行くこと [物見遊山]

さあて、どうしたものか。
何を考えているかというと記事のタイトルのことだ。
「○○へ行くこと」よりも「○○へ行きしこと」の方が正しい?
実際には過去の出来事な訳だから過去形の方が良いような気がするのだ。
どなたか、妙案がありましたら是非。

さて、毎回マイナーな神社ばかりでは詰まらなかろう。
というわけで少しばかり趣向をかえてみるとしよう。

で、今回は遺跡の話。
やってきたのは山梨県甲府市千塚にある加牟那塚(かんなづか)。
マァ行くとしよう。


さあ、着いたぞ

古くは金塚とも呼ばれていたそうである。そもそも「加牟那」というのは、どういう意味なのだろうか。とんと分からぬ。

ただ、個人的には「加牟那塚」が次第に訛って音だけ当てはめた「金塚」と呼ばれる(表記される)ようになったのではないかと思う。「金塚」から「加牟那塚」になったというのはちょっと不自然だろう。


どのアングルからでも変わらぬ

古墳時代後期初頭(5世紀末から6世紀頃)の円墳で直径は約45m。県下2番目の大きさとのこと。そんな塚が住宅地の真ん中にあるというのは何とも不思議な光景である。

この辺りの地名である「千塚」と云う名が示すように、かつては塚が多くあったらしいが、今では殆ど残っていないようである。


流石に入れないか

入口は鉄格子で閉ざされている。ここには一体誰が埋葬されているのだらう。鉄格子は侵入者を阻むためか、それとも中から這い出てくるのを防ぐためか。


闇に潜むのは誰ぞ

石室は横穴式の南東向き、ふむ、悪くない。玄室(げんしつ:棺のある部屋)が10.3mで羨道(せんどう:玄室までの通路)は6.36m、高さは2.63mとのことである。

しかし玄室が10.3mというのは一体…。奥行きか、それとも広さなのか。マァいづれにせよ、説明不足な看板だ。


ここだけ異空間

そういえば随分と草だらけの塚である。土肌が殆ど見えない。あまり古墳っぽくない。見方によっては小高い丘である。英国にこんな風景ありそうだナァ、何となくそう思った。

丘の上まで行ってみるか。
「ゆくか」
「ゆくか」

「いや待て」
「どうした」

「上ってよいのか」
「さあ」

「おい」
「仮にも指定史跡だ、うっかり崩れるやも知れぬぞ」

「では、やめておくか」
「うむ」

「天狗は危うきに近寄らず、だ」
「…」(敢えて何も云うまい)

そういうことにはならなかった。

見かけによらず、長い歴史のある貴重な古墳であった。


勝手に命名「イギリス丘」


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桃畑で農作業すること [物見遊山]

とうとう春になってしまった。
奴等が動き出す時期だ。
蟲、蟲、蟲・・・早く秋になって欲しいと思う今日この頃。

今回は桃畑で農作業した話。
春なのでまったりと晴読雨読していたらまたまた例の如く、しょっ引かれてしまった。アァまったく。

到着早々、ホースを切るように云われる。

「これは何に使うんでェ?」

「それは秘密」とニヤリ顔なしょっ引き人。

釈然としない気持ちでホースを切る。とにかく切る。


山梨市のとある桃畑


満開の時期はやや過ぎているようだが、いやはや、綺麗である。地面はタンポポが咲き乱れている。桃色と黄色の取り合わせもなかなかよいものだ。

しかし、ここで一つの疑問が。桃畑でタンポポがこんなに咲いていて良いのだろうか?
雑草の類は抜いた方が良さそうなのだが。

訊いてみたところ、次のような答えが返ってきた。

「雑草の類をそのままにしておく」と「雑草は抜き去ってしまう」の2種類があるという。
除草してしまう方が主流なのだが、ここでは敢えてそのままにしておくという。
化学肥料を極力使用せず、除草剤も使わない低農薬栽培、というのがモットー、とのこと。

成程、それが美味しさの秘訣なのだと納得する。

今回の作業は支柱を立てて枝を吊るというもの。
野球ボールほどの実が生るのだから、やはり支えが必要になってくる。
ではそろそろ作業に入るとしよう。

[作業工程]
①脚立に上って支柱を真っ直ぐに支える。
②支柱の頭に針金をくくりつけ、垂らす。
③垂らした針金で各々の枝に適度なテンションをかけて吊る。


脚立が低くてやり難い


一番高い脚立を持ってきたらしいのだが、どうも足りない。脚の開き具合を調節してどうにか作業開始。
「(脚立の一番上に)上れる?」
「いえいえ、とんでもない。背が足りませぬ。」
ということで僕は枝吊り専門に。

「脚立はな、坂の上に向かって立てるんだ。田村麻呂(たむらまろ)とよんでくれい。」
と上機嫌で話す、しょっ引き人。

(坂上田村麻呂ときたか)

「・・・ハァさうですか、アテルイ(有り体)なこと云いますナァ。」

とさりげなくウィット返しをしておく。

―アテルイとは―
平安時代初期の蝦夷の大酋長。悪路王(あくろおう)とも。
朝廷側の坂上田村麻呂と十年にわたって勇猛果敢に戦った。
しかし、延暦2年(802)遂に降伏し、河内国で惨殺された。
田村麻呂の影に隠れた悲劇の英雄。


ホースはこの為だった


枝を保護するためにホースを通す。作業開始前に延々とゴムホースを切らされたのはこの為だったのか。まさに目から鱗が落ちる、だ。はらり。



余裕がでてきた


3本目くらいでようやっと調子が出てくる。「サマになってきたじゃないか」としょっ引き人。やる気も割とみなぎる。


そろそろ・・・


支柱を5本立てたところで今日の作業は終了。イヤァ大変だった。脆弱で文弱な僕には特にエラかった。人手がマイナスにならなっただけでなによりだった。



云うまでもなく翌日は筋肉痛であった。いたたた。


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しもきた天狗まつりに参加すること(前夜祭) [物見遊山]

今年は暖冬なのに、個人的にはとても寒い。
特にここ数日。そう、これは彼のせいなんだ。シザーマンだ。
これは紛れもない確かな事実なんだよ!

…ややヒステリック気味。

それはさておき。
数日前、ただぼんやりと人里に下りてみると、あるチラシが目に留まった。

「第75回しもきた天狗まつり」

・・・何と素晴らしい響き!
「天狗祭」ときいて、参加しないわけにはいかない。
颯爽と電車を乗り継ぎ、会場へと向かったのであった。

さあ、もうすぐ始まるぞ
会場の道了尊真龍寺に到着。
ちなみに今夜(2月2日)は前夜祭。
そのへんにあったプログラムを見る。
今夜は二本立てのようだ。
「天狗炎神事(てんぐほむらしんじ)」
「来福豆撒厳修義(らいふくまめまきごんしゅうのぎ)」
要するに、炎の儀式と豆まきだ。

結構、人は集まっている。…?皆何処かへ行こうとしてるぞ。
どれどれ、僕も行ってみるとしよう。

向かったその先は…
そこでは、整理券を配っていた。
福袋の当たる抽選会もあるらしい。
成程、それが目当てかと思いつつ、僕も思わず貰う。

しばらくして、山伏姿の司会者登場。いよいよだ。

なかなかサマになってます
「皆のもの、天狗まつりの始まりじゃー」
と声高らかに宣言。
堂々とした振る舞いで、威勢も良い。
好印象。

商店街会長登場
商店街会長登場。
天狗まつりについて語る。
何でも、昭和の30年代は路上での活動(祭りとか)が禁止されていたそうで、寺の敷地内で豆まきをやっていた、とのこと。
40年代になって、路上での活動が解禁されたのだとか。

松明を持った二人が登場。中央の聖火台?に灯す。台が低くて見えない…。
さぁ天狗炎神事の始まりだ。

天狗降臨
祭りの主役である天狗様登場。おぉー、天狗様じゃ!
「天狗サマー」という黄色い声も聞こえたり聞こえなかったり。
…おや?一本歯の下駄ではないようだ。二本歯の高下駄だ。何故だ?

この炎の儀式はお札を焚いて、天狗様の元にお返しするためのものらしい。
灰がチラホラ舞い上がる。そばにいた人が「あら、雪?」と云っていた。
確かに、寒かったが・・・。

ものすごい法力で・・・
読経が始まる。うっ、すごい法力だ。
立っているのがやっとだ。

何とか天狗炎神事終了。
そのあと、何某かによる舞が披露された。演目は…失念してしまった。なんと適当な。

さて、次はお待ちかねの「来福豆撒厳修義(らいふくまめまきごんしゅうのぎ)」
一般的には「鬼は外、福は内」と云うが、ここでは「福は内」とだけ云うらしい。
福で内が満たされれば、自ずと鬼は出て行くものだ、とのこと。
成程、それは理に適っているなぁ。

豆まき
「では、豆まきを行いますが、年々、皆さんの技術が進歩しているようで…小さい袋とかは良いですけど、虫取り網みたいなのは勘弁してくださいね。」

どっと笑いながらも、みんな袋を取り出し始めた。
・・・しまった、そんな用意はしていないぞ。
あぁ、始まってしまった。

「福は内~、福は内~」

みんな豆袋を取るのに夢中だ。「獲る」とか「盗る」という方が合っているかもしれない。
下に落ちたのを拾う方が得策だな、と思いつつも、空中でキャッチしてみたくて頑張ってみる。

とおっ、それっ、やっ・・・

あの時は無我夢中だった
結果:三袋。マァ、こんなものか。
そのうち拾ったのは・・・三袋だった。
いや、難しいもんだな。しみじみ思う。

続いて福袋も当たる抽選会。

ガサゴソ・・・
天狗様がクジを引く。
この天狗様は右利きのようだ。

せっせと引く
せっせと引く。何だかちょっと面白い光景だ。
天狗様がすべきことなのだろうが、どこか滑稽で変な感じもする。

「…44番」

何だって!やや、当たってしまったぞ。
軽やかなステップで福袋を貰いに行く。


そしてやや浮かれ気味に会場を後にしたのであった。


― 自宅にて ―
当たってしまったよ、福袋
かさはあまりないがちょっと重い。
打ち出の小槌や葉団扇、瓢とかだったらどうしよう。
アァ、わくわくするぞ。

さあて、中身は・・・



うーむ、何と云うべきか。突っ込むところは色々あるが、あえて云うまい。
キヤラメルが五箱!これは嬉しい。

しもきた天狗まつりもあと一日。さあ、急げ。

詳細はここで。

しもきた天狗まつり  http://www.tengu-matsuri.com/


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ジ・アルフィーのコンサートに行くこと [物見遊山]

雨には困ったもんだ。
うっかり傘を用意していないときに限って降りだすんだから。
雷サンや、わざとやっているんですかい?
頼みますぜ、ほんと。

それはさておき、今は昔、神無月の二十一日のことである。
山梨県は甲府市、山梨県民文化ホールに偉大なる音楽家たちが舞い降りた。
そう、日本屈指の崇高な楽隊(バンド)、THE ALFEE(ジ・アルフィー)である。

・・・待ってました!彼らの山梨公演は実に二年半ぶり。
この時をじっと我慢の子で待っておりました。(古いネタだなぁ・・・)
なので、当日は口元が緩みっぱなし、涎が止まらない止まらない。
勢いあまって開場の一時間前にはもう現地入り。

まずは気分を落ち着けるために会場の外のトラックを見学する。

会場にはこのタイプのトラックが六台。
そのうちの三台は高見沢サンの衣装かと思われる(勝手な推測)
他に小型トラックとワゴンが一台あり。

ツアートラックを見て落ち着く筈もなく、さらに高調。
時間も程よいので、会場に向かう。
会場入り口には人がわんさか(当然だが)、ここにいる人達は同志なのだと思うと益々高調する。

・・・?

おや、特に人が集まっているところがある。
携帯やデジキャメで撮っている人もいる。
何事じゃ?

僕もデジキャメを持ちつつ、その中心に向かう。
かつ、かつ、かつ・・・

・・・な、なんと!

「サ・アルフィーコンサート」だと!「THE」を何故「サ」と読むのだっ。「ザ・アルフィー」という間違いをする人はよくいるが…。周りの同志たちも口々にそう云っていた。…って感心してないで受付に抗議しにいこうよ、同志たち。しかし、皆それどころではないのか、抗議する人はいなかった。まぁ、もうすぐジ・アルフィーに逢えるということで頭の中は一杯だっただろうし。斯く云う私もそうであったが。

そんなこともあったが定刻には開場し、いざ入場。ますます高調する。
グッズもしっかりと買い込み、席に着いてしばし待つ。

そして、酉三つ(午後六時)遂にコンサートは幕を開けた。

ずんどこ、ずんどこ・・・けたたましいドラムが鳴り響く。
ぎゅい、ぎゅい、ぎゅいーん・・・高見沢サンの電子剣が華麗にうなる。
ずんちゃら、ちゃらら・・・坂崎サンの生弦が多重な旋律を奏でる。
ぼん、ぼぼ、ぼぼん・・・桜井サンの重音斧が律動を刻む。
しゃらら、ひゃら、ひゅらら・・・キーボードの流麗な旋律。

情熱溢れる熱狂のコンサートは三時間余り続いた。
・・・す、素晴らしかった。いや、そんな言葉では不足かもしれない。
筆舌に尽くし難いというのはこのことだったのだな。なるほど。
僕はジ・アルフィーのふぁんで本当に良かった、幸せ者だ。

さ、皆も本日発売、待望のニューシングル「Innocent Love」買おう!
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・・・肝心のコンサート内容にあまり触れていない気もするが気にしない、気にしない(笑)


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山谷稲荷祭りに行くこと [物見遊山]

やっと秋らしくなってきた。
ホット珈琲を飲むには丁度良い。

「マスター、いつものやつを」
「あいよ」

…などと一人家で、小芝居してたり、してなかったり(笑

さて、今朝もいつものように珈琲を飲みながら本を読んでいると、なんだか外が騒がしい。
朝から何をやらかしているのだ?別に苛々しないが気にはなる。

わいわいがやがや人の声。
ピィピィピリピリ笛の音。
ドンドコドコドン太鼓の音。

…宮沢賢治っぽく書いてみた。
いや、そんなこと云っていると賢治ふぁんからクレームが来そうだ(汗

それはともかく、どうやら今日はお祭りらしい。
「山谷稲荷祭り」なのだとか。
おみこしが家の近くまできていたのでパチリ。


おみこしの周りをロープで囲んでいるのがなんとも…。
因みに、この道路は甲州街道で、たしかに車の交通量が多い。
道路を封鎖できないのは分かるが、何とも味気ないことよ。
撮り方が悪いのだろうか、今ひとつ迫力に欠ける。

この写真を撮るのには苦労した。車がなかなか途切れないのだ。
道をはさんで撮影というのが仇となってしまった(^_^;

撮り方のせい、ということにしておこう。
元々活気が無かったからではないだろう…そう思いたい。

きっと神社の方はそれはそれは大盛り上がりなのだろう。
ということで町内掲示板をたよりにその神社へと向かう。


ここが山谷稲荷神社だ。
こんな近場に神社があったとは、知らなんだ。
祭りの飾りつけもちゃんとされているし、これは期待できそうだ。
早速、入ってみるとしよう。


おや?


さっぱりしてますなぁ。
屋台とかは出ていないのか…。
確かにおみこしは出払っているが、もう少し賑わっていても良いではないか。
そういえば、この道には僕くらいしかいない。
あとは神社の中にいる法被を着た人だけだ。

…いたたまれなくなって神社を後にした。

き、きっと他の場所に屋台やら、会場があるのだろう。
そうに違いない。僕が行ってないだけだ。
んだ、んだ、違いねぇ。
…ということにしておこう。

どうやらこの「山谷稲荷祭り」は2日間の祭りで今日はその2日目なんだとか。
それで今日は神社がさっぱりとしていたのかもしれませんね。


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桃狩りをすること [物見遊山]

今ハ昔、桃ヲ狩ル・・・

・・・今となっては昔のことだが、桃狩りをした(一昨日)
ある御方に誘われたのだ。
こんな暑い日に何故、と思ったが、丁度今頃が良く熟れていて美味しいんだとか。
ならば致し方あるまい。しかし、外は暑いゆえ、私は・・・と渋っていたが
しょっぴかれる形で桃畑へ。あぁー。

さて、件の桃畑へ到着。一面桃畑である。また、奥の方にはブドウ畑も見える。
これぞまさに、フルーツ王国「山梨」である。
いや、「桃源郷」と云うべきか。文字通り、桃の郷だ。

ね、眠い(+_+)
日が出てくると熱で桃がヘタってしまうから、収穫は早朝に行うらしい。
やれやれ、何でこんな朝早くから、と思って空を見る。

・・・って、空見て分かるか。
つっこみを入れつつ、時計を見る。
巳の刻・・・って10時過ぎか、遅いなぁw

むんず、ぽきっ・・・
梯子に登って、木の上の方から桃を狩っていく。
木の上についている果実から熟していくからだ。
木の下の方についている実が丁度良く熟れていたなら、それは収穫が遅いのだ。
上の方はずくずくになっている。

因みに、僕は硬めの桃が好きである。
「硬めの桃、柔らかい桃どちらがよいか」
身近な人にそれとなく聞いてみた。

地元(山梨)の人は硬め、県外の人は軟らかい桃を好む傾向にあるようだ。
まぁ、これはタイムラグのようなものだ。
産地から発送されて店頭に並ぶ時にはよく熟れて軟らかくなっている。
なので、県外の人には「桃=軟らかい」というイメージがあり、軟らかいのを好むのだろう。

・・・あぁ、云い忘れていた。
僕は山梨出身です。
本籍も山梨なのは秘密(^^;

だが、しかし
本当は桃よりもスモモの方が好きだ。
あの真っ赤なルビィのような実・・・あぁ、美味しそうだ。。
とくに、ソルダム(soldum)という品種が美味しいと個人的には思う。

とはいえ、毎年誰かがスモモをくれるのを待っている、受身の状態である。
だから滅多に(seldom)食べられないのだけどw


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