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山谷稲荷神社に行くこと [古社巡礼]

最近、朝夕が妙に涼しい。
それもそのはず、もう立冬を過ぎているのだった。
ということは、もう冬。

…あゝ秋はもうおしまいですか。
秋は短し、更新せよ天狗。

さて今回やってきたのは東京都世田谷区上北沢にある山谷稲荷神社。
一年ほど昔にここの祭りを見にいったが、神社にはお参りしていなんだ。
そういう訳で今回はここ。


ヤァ久しぶり

ほっそりとして華奢なイメージの鳥居。サイズも小さめで、手を伸ばせば触れるほど。足元はしっかりとしている。ちなみにここ、稲荷神社のはずなのだが、どうも稲荷神社っぽくない。あゝ朱い鳥居がないからか。


何かをもじって云えば
「稲荷は朱き鳥居(が連なっているのが良い)」だろうか。

…詰まらぬこと云ってないでさっさと行こう。


がっちり、と

「山谷稲荷」の額はがっちりとつけられている。なんだかものものしい。イヤァそんなに鎖で巻かなくてもいいじゃあないか。マァ額束が地面に落ちているよりはましか。



見ての通り灯籠だが、何故か3本の木で周りを囲んである。
周りの支えがなければ倒れてしまう、という風でもなさそうだが。
さあてどういう訳だろう、とんと見当もつかぬ。



狛狐様にも挨拶しておこう。

「こんにちは。おや、どうされましたか。顔じゅう氷だらけではありませんか。イヤァたしかにもう立冬ですけど、凍るほど朝夕寒い…」

「このたわけ天狗が、よく見てみろ」
「全く、近頃の天狗ときたら…」

…よくよく見てみると、どうやらボンドのようである。
一体どうしたというのだ。誰かの悪戯なのか、それとも天災の類か。
あまりに痛々しいお姿だ。

その訳を聞いてみようかと思うたが、さすがに気がひけたので止めておいた。


商売っ気なし

早速、拝殿に行き、お参りをすませる。拝殿もかなり小さめだ。マァ大きさは良いとしてだ…賽銭箱がない。これは困った。うーん、なんともこれはきまりが悪い。油揚げでも買ってきた方が良かった、と今更ながら後悔した。



奇抜な本殿

拝殿の奥に回ってみる。多分、これは本殿…なのだろうか。随分と奇抜なデザインだが。流石に人が住んでいるようではなさそうだ。

…思いきりボケてしまったが、本殿ではないよな、これは。「倉庫」だろう、きっと。気取って云っても「蔵」程度のものだろう。(コメントで指摘されるまで本殿と思い込んでいた。何と恥かしきことか!)


何か面白いものはないか、境内をうろうろしてみる。


にゃーお

どういうわけだが招き猫が。本来、狐と猫というのは相性の悪いものじゃあなかったか。はて、単なる俗信だったろうか。そういえば招き猫は元々、稲荷参りの土産物だった狐人形(招き狐)に由来しているという説がある。ならば、あながち無関係とは云えないか。

…まさか狛狐様、こやつにやられたのでは…。



力石

「江戸期 民の力 秋意ほのかに山谷の里 力石」とある。重さは二十…貫。「二十五」と読めそうだが、違う気もする。力石ということは、これを持ち上げると、恐ろしく力持ちになれるとかそういう類のものか。何かしらのいわれがありそうだが、これに関して説明書きらしきものは見あたらず。残念。

仮にこの力石が二十五貫だとすると
3.75×25=93.75kg
たしかに重い。

また山谷の里というのが気になる。この辺の昔の呼び名だろうか。
これまたとんと分からぬ。


広すぎる謎

鳥居、参道ともに道路に対して直交していない。何故か斜めである。そしてもうひとつ。境内の囲いが何とも中途半端である。元々はもっと大きな鳥居があったんじゃあないだろうか。神社入り口に土台跡らしきものもある。しかし、この鳥居、妙に足が大きい。長靴下のピッピかね。



規模はとても小さいが、つっこみどころの多い神社であった。



「油揚げ、待っておるぞ」
「はい、次回は必ず」


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桔梗信玄餅を食すこと [菓子・つまみ]

ティーソーサーを割ってしまった。そう、受け皿の方だ。
運が良いのか悪いのか、カップは無事だった。

どうせ割れるならカップも一緒に、という訳ではないが何だか決まりが悪い。
大人しくマグカップで飲めばよかった。

まぁソーサーだけ残るよりは幾分マシということで。

さて、今回も菓子な話。
そして何故だか前回に引き続き、餅ときたもんだ。


桔梗屋「桔梗信玄餅」

マァ地元の山梨では通称「信玄餅」と呼ばれているが正式名称は桔梗信玄餅である。不織布の信玄袋が何とも可愛らしい。結構丈夫。箱入りのものもあるけれど、これが一番ポピュラーだと思う。色は紺・白・赤の三種類。個人的にはこの紺がお気に入り。



まずは取り出してみる

ビニールの風呂敷に包まれている。何でもこの風呂敷は人の手で一つ一つ包むんだとか。結び続けてン十年、そんな職人さんがわんさかいるんだろうナァ。結構きっちりと結んである。爪の短い人はちょっとアレかもしれない。



早く食べたい気持ちを抑えつつ

まずは中身を確認。…黒蜜よし、楊枝よし。やや、きな粉は?と思う方もいるかもしれないが、あらかじめ容器のなかに入っているのだ。なあに、餅の上にたっぷりとまぶされているからご安心を。


例の如く、まずは小冊子に従って食すことにしよう。


餅をようじで持ち上げ、そこへ黒蜜を入れてきな粉と混ぜて頂きます。

えへへ。やっぱり美味しい桔梗信玄餅。
これがふるさとの味か。思わず目頭が熱くなったり、ならなかったり。

うむ。では、いつも通りに


窪みに黒蜜を入れて、適当に混ぜて頂きます。

前回も云った気がするが、この食べ方をする人がやはり多いような気がする。
小冊子をきっちり読む人はそうそういないだろう。
それに黒蜜を入れろといわんばかりの窪みもある。
早く食べたい誘惑に駆られてするりと黒蜜に手が伸びてしまう。

で、毎回きな粉をきっちりとこぼしてしまう訳だ。


おいゝゝそれはこぼし過ぎだ。

山梨県民だから割と食べ慣れているとはいえ、きな粉をこぼさずに食べるのは難しい。
餅の上にたっぷりときな粉を楊枝でならしつつ、食べなければならない。

あれこれ工夫しつつ食べるのも悪くないが、意外に心労だったりもする。
どうも容器の「中」と「外」という境界論を意識せざるを得ない。
やはり風呂敷の上は「外」にしか思えない。

ならば


皿に開放してみる

これなら気兼ねせず、おおらかな気分で食べられる。餅に蜜をつけて、こおろこおろと回してきな粉をつけて食べる。個人的にはこれが最も好きだ。きな粉と蜜が残ったって気にすることは無い。皿まで持ち出したのだから、なあに、匙ですくって食べたら良いじゃあないか。





【おにぎりと桔梗信玄餅】

昼食の時間、弁当を食べていると、友人がこの桔梗信玄餅を持って来た。珍しいナァ、デザートもあるのかぁと思っていると、彼は信玄袋からおにぎりを取り出した。弁当を包む風呂敷代わりに使っていたのだった。彼曰く「手頃な包むものが無かった」。それからしばらく彼のあだ名は「信玄餅」だった。(平成□年、自分が高校生のときの話)


マァ分からなくもないが…。
どうして「包まねばならぬ」とこだわっていたのかが気になるところではある。
おにぎりは一つ一つアルミホイルに包まっていたから、別に、スーパーでもらう袋に入れても良さそうなものだが。ちなみに、肝心の信玄餅は入っていなかった。残念。

何はともあれ、おにぎり入れにも使われるほど山梨県民に愛されている桔梗信玄餅おすすめです。



桔梗屋
http://www.kikyouya.co.jp/

桔梗信玄餅.com
http://www.kikyoushingenmochi.com/




とりあえず彼の真似をしてみる。
「どちらへ?」
「えゝ、ちょっとそこまで」


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信玄餅を食すこと [菓子・つまみ]

最近、随分と涼しくなったものだ。
ごく自然に熱い珈琲を飲みたくなる季節、あゝなんと素晴らしい。

『枕草子』風に云えば「四季は秋」か。
常春ならぬ常秋ってのはないのだろうか。
一年中紅葉で枯れ葉が舞い踊る、そりゃあ無理か。

…そんな戯言はさておき、今回は珈琲に合うお菓子の話。


甲州銘菓

金精軒の信玄餅である。ピンク色のパッケージがまぶしい。右側の謙信、紐で目が隠れているが故意ではない。僕が山梨出身で信玄びいきだからでもない、あくまで偶然である。

実は近所のスーパーで購入。おや、珍しい。
なんでも都内では常設販売はしていないとのこと。
それをスーパーで買えたというのは何たる偶然。


何故、信玄餅?

小冊子のよると信玄公が非常食として常備させていた切り餅にちなんで作られた、とのこと。ほう、成程。陣中食は「ほうとう」だけかと思っていたが、切り餅もあったわけか。さすがに蜜をからめて食べてはいなかっただろうけど。



さっそく開く

薄くきな粉のまぶされた餅(3個)と黒蜜、きな粉、そして楊枝。自然素材100%なのであまり日持ちはしないとのこと。早く食べなくては。


まずは小冊子にしたがって食してみる。


きなこを風呂敷にあけて、餅を1つ上に出し、密を入れる。


蜜を餅にからめたら、きなこをまぶしていただきます。

あっはっは。美味しい。何て幸せなひとときなんだろう。
餅がやわらかいのなんの。頬が落ちそうである。
1つ1つが小さめなので喉に詰まる心配もなさそうだ。

特に気に入ったのは最後にまぶす、きなこ。
ちょっとひと手間加えるだけでこんなにおいしいとは!
食べるまでの工程がどことなく駄菓子に似ている気もするがマァいい。

まさに「きな粉には、黒蜜がよく似合ふ」だ。


どちらが食べる前だ?

食べ終わったら、風呂敷をまた元通りに結んでポイ。これならきな粉がこぼれる心配もない。後片付けは楽々だ。
…なお、結び直しても食べる前には戻らないので注意。

…とここで終わってしまっては詰まらない。
次はイレギュラーな方法で食すことにしよう。


真ん中に蜜を入れる

小冊子では端の餅を出して蜜を入れる、としていた。しかし、真ん中に蜜を入れた方が混ぜやすいのではないだろうか。モノはためしだ。
・・・。
思ったよりも効果はないようだ。しかも、真ん中の餅を取り出すのが少々手間どってしまう。今ひとつ。

結論:端から取り出すのがよい。


きな粉を混ぜ込む

風呂敷にきな粉をあけるというのはちょっと…かといって、皿の上にあけるのは面倒だという人もいるだろう。ならば、きな粉を蜜と一緒に餅にからめてしまおうという訳だ。このとき注意したいのは蜜、きな粉の順で入れること。きな粉、蜜だと上手く混ざらないのだ。

きな粉と蜜がよくからんで美味しい。きな粉を混ぜ込むので、蜜により粘り気がでている。これもいい。

結論:混ぜても美味しい。

個人的には、この食べ方をする人が多いのではないかと思う。
皆あまり小冊子を読まないだろうし、風呂敷の上にきな粉を出すというのに抵抗がある人も多そうだから。

なにはともあれ、山梨を代表する和菓子「信玄餅」おすすめです。
ぜひどうぞ。


底には武田菱。
凝ってますナァ。

金精軒
http://www.kinseiken.co.jp/index.htm

サイトにはきな粉を混ぜる食べ方がおすすめとあるが…
はて、これは一体どういうことだろう?


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天狗、男に一杯飲まされること [雑文]

たまには趣向を変えて、詰まらぬ小噺を一つ。
いつも詰まらぬ?

…マァ確かに。

では、いつも以上に詰まらぬ小噺ということで。


ある日の昼下りのことである。
二人の若造がファミリーレストランでお茶をしていた。
この二人の他に客は殆んどいない。(※1)
一人は天狗、もう一人は男である。
彼らはとりとめのない話をしていた。

男は、珈琲を飲み干すとこう切り出した。
「毒を盛るという表現っていいと思わない?」
「毒を盛る?…はぁ」

なんとも唐突である。

「この間、読んでいた本にあってさ、何か惹かれたんだよ」
「確かサジで盛って薬なんかを調合するところからきているんだっけか」
「いや、そこまでは知らないけど」

この天狗、詰まらぬことばかり知っている。

「盛る、ねぇ。マァ毒を…入れる、混ぜる、飲ませる…他の云い回しはちょっとばかり直接的すぎるかもしれないねぇ」

「そうでしょ?毒を盛る…好きだわ」

そう云うと男は席を立った。

(何だかよく分からないが、マァ面白い表現ではあるな)
と、天狗はぼんやり思っていた。

しばらくして男は戻ってきた。
彼の両手は珈琲カップで塞がっていた。
どうやら気を利かせて天狗の分も淹れて来たらしい。
なみなみと珈琲が注がれている。
何ともマァご苦労なことだ。

「イヤァ悪いね。有り難う」
「いやいやなんの」

そう礼を云って飲もうとしたとき、天狗ははっとした。

(何か変だ。いつもなら他人に持ってこさせる男が今日に限って持ってくるとは)

(…ヤッこの話の流れでいくと、僕の珈琲には毒が盛られている!?)

とんだ妄想天狗である。(※2)

「ん、どうした。飲まないの?」
「え、アァいや別に…」

(仕方ない、毒を喰らわば皿まで…いや、毒を喰らわば珈琲カップまでだ。飲んでくれるわ)

なんでそうなるのか、よく分からないが、とにかく天狗は一口飲んだ。

「…うっ、に」

思わず、天狗はむせた。

「ウニがどうかした?」

「ウニじゃない。うっ、苦いと云おうとしたのだ」
「え?そりゃ珈琲だもん、苦いに決まってるでしょ」

「いや、この苦さはおかしい…なんか余計に入れただろう?」
「まさか」

「嘘を云うない。持ったときに盛っただろう。いや、盛ってから持ったか、え」
「また訳のわからないことを。実はね、ボタンを押したらカップの半分までしか注がれなかったんだよ」

「ほう。それで?」
「2回押した」

「…それってもしかして、エスプレッソじゃあないか」(※3)
「そう云われればそんな気も」

「どうりで苦いわけだ、マァこんなになみなみと。ミルクと砂糖で誤魔化すしかないな」
「そうだね、あはは、ごめんごめん」

「こんなのそのまま一気に飲んだらそれこそ一大事。毒だよ毒」
「うんうん、まさに毒だね」

「…本当は分かっててやったのか」
「さあ、どうかな」

(これだから人間って奴は油断がならねぇ)
そう感じた天狗であった。


飲みすぎは毒、気をつけよう。


【注】
※1…どうやら芥川龍之介『羅生門』を真似たようだが、まるでサマになっていない。
※2…まったくである。
※3…彼らがいたのはおそらくイタリアンレストラン「サイゼリヤ」だろう。
ドリンクバーのカップはエスプレッソ用ではないから、カップが満タンにならないのは当然である。


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天神社に行くこと [古社巡礼]

ショートコント「喧嘩」
(喧嘩中の二人)

甲:「このひとでなしっ!」

乙:「僕、天狗ですから」

・・・。


さて、今回やってきたのは東京都杉並区上高井戸にある天神社。
中央自動車道のすぐ近くにある。

鎌倉時代の頃の創立らしく、江戸時代に焼失、再建されたというこれまた歴史ある神社である。
またここは旧高井戸村の鎮守だったそうである。
祭神は面足命(おもたるのみこと)と惶根命(かしこねのみこと)。
また明治以前には第六天神と呼ばれていたそうな。
第六天というのは第六天魔王の略で仏教修行を妨げる魔のこと。他化自在天(たけじざいてん)とも。神仏分離の際に祭神を第六天魔王から面足命と惶根命に変更されたとのことである。


煤けた鳥居

オーソドックスな明神鳥居。中央自動車道に面しているせいだろうか、鳥居の上の部分などはかなり煤けている。掃除してもなかなか落ちないのだろうな、この手の汚れは。というより、鳥居の掃除というのはどうやるのだろうか。まさかデッキブラシでゴシゴシというわけではあるまい。



幸運を呼ぶ手水舎

おっと吃驚。黄色い手水舎とは。赤ならまだ分かるが何故クリームイェローなのだろう。随分目立ちたがりな手水舎である。因みに水は出ていなかった。残念。


色々疑問に思いつつも、まずは拝殿を目指す。


はて、これは

神楽殿のようだ。サーモンピンクとは珍しい。おまけにシャッター付である。防犯対策も充分である。境内掲示板によると昭和初期まで「雨乞い神楽」というのが行われていたらしい。お祭りをすると必ず雨が降るという云い伝えだそうで。


雨が降るまで神楽を奉納し続けたからだろう、とか野暮なことは云っちゃあいけない。
さてさて拝殿はもうすぐだ。


これまたお洒落な拝殿で

鎌倉時代の頃創建の神社にしてはなかなかハイソである(焼失して建て直されている)。このあたりの鎮守であったというから、皆に親しまれてきたのだろう。お金もそれだけ掛けてもらえた訳だ。よかったな。



複雑系

拝殿は茶色、本殿は白とツートンカラーになっている。拝殿の屋根は随分と入り組んだデザインである。設計図を描くのも一苦労だったろう。


お参りも済ませたので色々見てまわる。
ふと見ると、脇に小路がある。摂末社がありそうな気配。
早速進む。


予想通り、お出ましだ

やはり摂末社であった。こちらは苔だらけの明神鳥居である。うむ、悪くない。両脇の赤い灯篭?が何故か可愛い。

「がぁ、がぁ」

…ほう。この辺はどうやら烏のたまり場らしい。夥しい数だ。写真におさめようと思ったが、ただならぬ妖気でも感じたのか、逃げてしまった。残念。



随分と横に長い

奥から手前側(右から左に)順に秋葉神社、白山神社、浅間神社、天祖神社、氷川神社、稲荷神社、稲荷神社。かなり多めである。マァそれはいいとして、気になるのは稲荷神社が2つある点。さあてどうしてなのだろう。元々近くにあった稲荷神社2社をここに合祀したということか。



散歩にもちょうど良い

朝方にここを訪れたのだが、この神社にお参りする人は多かった。鳥居をくぐって拝殿に行き手短にお祈りをすませると、決まって摂末社の方にある出口へ去っていくのだ。見ていてなんだか面白い。


おっと、うっかりしていた。狛犬を見ていなかった。
この神社には2対、計4体の狛犬がいらっしゃる。
まずは古い方から。


安山岩製。明和8年(1771)生まれの236歳。
屋外にいる狛犬としては杉並区では最も古いそうである。
医王寺とも関係があるらしいのだが、はて、狛犬はいたのだろうか。
さっぱりである。やはり、どうも医王寺にはまた行かねばならぬようだ。


こっちが新参の狛犬達。ギリシア彫刻とでも云おうか、先達に比べて彫が深い。
毛など随分うねうねしている。ふむ、先達の云うことをちゃんと聞いてしっかりやりたまえ。
気取ってそう云ってやった。


古臭さを感じさせないハイソな神社であった。




おまけ


先日の皆既月食の終了後。
月食中は雲隠れで撮れず。

「皆既」よりも「怪奇」という表記の方がいいと思うのだが。
怪奇月食…ほらサマになってるじゃないか。


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加牟那塚に行くこと [物見遊山]

さあて、どうしたものか。
何を考えているかというと記事のタイトルのことだ。
「○○へ行くこと」よりも「○○へ行きしこと」の方が正しい?
実際には過去の出来事な訳だから過去形の方が良いような気がするのだ。
どなたか、妙案がありましたら是非。

さて、毎回マイナーな神社ばかりでは詰まらなかろう。
というわけで少しばかり趣向をかえてみるとしよう。

で、今回は遺跡の話。
やってきたのは山梨県甲府市千塚にある加牟那塚(かんなづか)。
マァ行くとしよう。


さあ、着いたぞ

古くは金塚とも呼ばれていたそうである。そもそも「加牟那」というのは、どういう意味なのだろうか。とんと分からぬ。

ただ、個人的には「加牟那塚」が次第に訛って音だけ当てはめた「金塚」と呼ばれる(表記される)ようになったのではないかと思う。「金塚」から「加牟那塚」になったというのはちょっと不自然だろう。


どのアングルからでも変わらぬ

古墳時代後期初頭(5世紀末から6世紀頃)の円墳で直径は約45m。県下2番目の大きさとのこと。そんな塚が住宅地の真ん中にあるというのは何とも不思議な光景である。

この辺りの地名である「千塚」と云う名が示すように、かつては塚が多くあったらしいが、今では殆ど残っていないようである。


流石に入れないか

入口は鉄格子で閉ざされている。ここには一体誰が埋葬されているのだらう。鉄格子は侵入者を阻むためか、それとも中から這い出てくるのを防ぐためか。


闇に潜むのは誰ぞ

石室は横穴式の南東向き、ふむ、悪くない。玄室(げんしつ:棺のある部屋)が10.3mで羨道(せんどう:玄室までの通路)は6.36m、高さは2.63mとのことである。

しかし玄室が10.3mというのは一体…。奥行きか、それとも広さなのか。マァいづれにせよ、説明不足な看板だ。


ここだけ異空間

そういえば随分と草だらけの塚である。土肌が殆ど見えない。あまり古墳っぽくない。見方によっては小高い丘である。英国にこんな風景ありそうだナァ、何となくそう思った。

丘の上まで行ってみるか。
「ゆくか」
「ゆくか」

「いや待て」
「どうした」

「上ってよいのか」
「さあ」

「おい」
「仮にも指定史跡だ、うっかり崩れるやも知れぬぞ」

「では、やめておくか」
「うむ」

「天狗は危うきに近寄らず、だ」
「…」(敢えて何も云うまい)

そういうことにはならなかった。

見かけによらず、長い歴史のある貴重な古墳であった。


勝手に命名「イギリス丘」


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烏山神社に行くこと [古社巡礼]

「物云えば 唇寒し 秋の風」
早くそういう季節になってほしいもんだ。

さて、今回やってきたのは東京都世田谷区にある烏山神社。

境内の掲示板によると元々は御嶽神社という烏山村の鎮守であったようである。江戸末期、白山権現社に遷宮合祀され、昭和7年に白山御嶽神社と社号を改め、また昭和37年に近所の神社をいくつか合併合祀し「烏山神社」と改称したという歴史のある神社。

長たらしい説明はこのくらいにしてさあ参ろう。


君には何かが欠けている

すくっと立っている明神鳥居。しかし何か足りない気がするのは何故だらう。…そうだ、額束(がくづか)だ。明神鳥居には大抵神社の名前の書かれた額があるものだが、この鳥居にはそれがない。以前はついていたような跡はある。では紛失したか。



灯台ならぬ鳥居下暗し

よく見たら鳥居の足元に額が。こんなに間近で見られるとは。イヤァ何とも力強い龍だ。


さあて奥へ進もう。


杜は素晴らしい

境内は半分くらいは木々で覆われている。木陰にいる限りは割りと涼しい。避暑しに高原へ行くのもいいが近場の神社へ涼を求めるのもいいかもしれぬ。



狛犬達も連日の暑さに参ってゐる。僕も参る。


なんとなく斜めから

拝殿はかなり大きい。緑青色の屋根が洒落ている。うむ立派だ、よくやっている。そう思った。なんともいい加減なコメントだが仕方ない。暑いから。


お参りもさらりとすませ境内を散策してみる。


ご開帳ではない

拝殿の横に回ってみると風通しのためか戸がちょっと開けられている。時折、吹いてくる風が木々をざわつかせるので涼しげだ。


稲荷社と招魂社。


裏には何かある

本殿の裏には「白山御嶽神社」と書かれた石碑が。境内の掲示板を読んで神社の歴史を知るのも良いが、境内を散策して歴史を感じるのも悪くない。人知れずひっそりとした所にあるのも良い。



これは一体…

おや何と、入り口が二つある。別に複数あって構わないのだが、何だか不思議だ。合祀遷宮した際に鳥居も移したのだろうか。どっちが先にあったのか。こっちの鳥居の方がやや小さめではある。それに島木が2ピースになっていてやや手抜き感が感じられる。


今考えてみれば鳥居には普通、いつ作られたのか書いてあるものなのだが、うっかり見るのを忘れてしまった。それはきっと太陽のせいだ。こんなに暑くして。

来る者を拒まない、とてもオープンな神社であった。

また来よう。


夏の陽射しは厳しい。


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カテゴリーを整理すること [当ブログについて]

カテゴリーを整理する。
実に雑多だ。

解説を書くというのは何とも野暮ったい気がするが、マァ自己満足の一環として書くことにする。

・ブログ名
無何有の果てに(むかうのはてに)

「無何有」は何か有るか、何もない、の意。転じて、無作為で自然なこと。「むかゆう」とも読む。

・記事
タイトルが長たらしく「~こと」となっているのはおそらく「今昔物語集」や「陰陽師」の影響だろう。

・カテゴリー
(画像をクリックすると、そのカテゴリーにとべます)


【遠野郷】
東京に棲んでいながらも電車が嫌いな天狗が意を決して民話のふるさと「遠野」へ行った話。妙にうかれている。


【デジタル関係】
当ぶろうぐでは珍しいデジタルな話。パソコンやらデジキャメやら、DSliteなど。フリーソフトなども。


【古社巡礼】
鳥居好きな天狗が神社に行く話。さほど有名でなかったり、ひっそりした神社にばかり足が向くのは何故だらう。


【雑貨】
時代錯誤で粋狂な付喪神(雑貨)の話。皆、格好は良いが使い勝手は悪い。だが、皆良い奴。



【菓子・つまみ】
美味しい珈琲や茶には瀟洒なお菓子やつまみはかかせない。


【物見遊山】
深山幽谷にある渓有亭を飛び出し、人里へ下りて色々と物見したときの話。マァ神社や寺以外はみんなここ。


【喫茶】
天狗界でも喫茶はごく日常的なもの。嗜んでこそ一人前。


【服飾】
天狗界では70年代がブーム。特にベルボトムが人気。


【ご当地検定】
知的好奇心が疼くものばかり。流行かどうかということは関係ない。


【ジムニー】
歩くのが嫌いで仕方ない。四駆ですいすい駆け回る。


【古寺巡礼】
寺に行く話。天狗はどうも寺は苦手なようだ。


【雑文】
どうでもいいことばかり。俗に云う「天狗のたわごと」



・更新頻度
天狗は気まぐれであるからしたりしなかったり。
まぁ気長に。


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医王寺に行くこと [古寺巡礼]

この暑さのせいか、やたらに本を買い込んでしまった。
世の中、面白い本が多すぎる。
柳田国男とか京極夏彦とか小松和彦とか。
随分偏っているが、気にしない気にしない。
古本屋は危ない危ない。

さて、今回やってきたのは東京都杉並区にある医王寺。
甲州街道に程近いところにある。

真言宗智山派の寺で、正式には明星山遍照院医王寺という。
開山したのは文和五年(1356)とか応永七年(1400)などと諸説があり定かではないがいずれにせよ古寺には違いない。

こういうことがさらっと云えると格好いい。
目指せ、京極堂。
その道程は果てしなく遠い。

実は、この医王寺にはある伝説がある。

【片目の魚】
境内に薬師の池という湧水がある。
魚を持ってきてこの池に放すといつの間にかその魚は片目になり、放流した人は眼病平癒するのだという。

ほう、なんとも興味深い。日頃、パソコンや読書で目を酷使している僕にはピッタリである。
現在では毎年十月十二日に「おめだま薬師大護摩供」が開かれ、参詣客
で賑わっているとのこと。


いざ中へ

山門をくぐり中へ入る。ちょっと緊張する。どちらかというと寺は神社よりも閉鎖的だ。山門の物々しさのせいもあるが。…はて、「山門」いや「三門」と書くのが正しいのか、どっちだろう。



枯山水

境内は割りと狭い。人がいる気配はなく、がらんとしている。がらんと、と云っても「伽藍」ではない。よおく目を凝らしてみると地面に渦巻き模様がある。枯山水だ。なかなか面白い。こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。

ウィキぺディアによると「枯山水」という言葉は「唐山水」に由来しているという説があるらしい。出典が書かれていないのでアレだが。調べてみる価値はありそうだ。


ええと、あなたは…

参道を歩くこと数秒、左側に誰かが居る事に気がつく。空海だ。そう、筆を誤ることもあるというあの弘法大師だ。いや、実は智山派開祖である玄宥(げんゆう)だったりするのだろうか。…ちょっと自信がない。



本堂へ

さっそくお参りをする。最近、目がしょぼしょぼするので念入りにお祈りする。
…オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ…



鈴でいいのか?

面白い形だ。カスタネットのようにも見える。神社では普通丸っこい鈴だが、寺ではこういう形なのだろうか。いや、寺にこのような鈴の緒はあるものなのか?寺の知識がないので色々不安になる。


気になることはまだある。
例のあの池が見あたらないの。
どこにあるのかさっぱり分からない。

探し疲れてちょっと絶望し、思わず山門を出る。
と、由緒書きがあることを思い出し、読む。

…この医王寺、どうやら関東大震災で移動し、再興したらしい。
元々は甲州街道に面していたそうである。

という訳で甲州街道沿いを色々探してみる。
が、それらしい池は見あたらず。
通りすがりの人にも聞いてみたがさっぱり。

暑くてまいったので今回はこれまで。
ぱっとしない結果であるが致し方あるまい。
マァお参りしただけでも意味はあるだろう。
涼しくなった頃に再訪するということで。


薪の如く組まれた線香。八角形なのはやはり…


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羅盤にて吉凶を占うこと [雑貨]

東京の暑さはどうも苦手だ。
朝からむっとしているのが嫌だ。
山梨のように朝夕はそこそこ涼しい方が良い。
それに湿度は意外に低いからな。

さて、今回は羅盤(らばん)の話。
ロブンとか、ルーパンと云うこともあるが、まぁ中国の方言の差によるものだからあまり気にせずに。表記は「羅盤」で同じなので。


今日から風水師に

そこらへんの雑貨屋にて購入。580円也。破格の安値である。相場は良く分からないが2000円前後くらいからだと思う。特に高いものはン万円するというから驚きだ。いかにも風水師な道具である。格好と気分だけは一丁前である。



北にあわせてみる

実際に、左斜め上が「北」で右斜め下が「南」である。普通、方位磁石では北を赤い指針が指すようにするのだが、羅盤では逆である。羅盤の赤い指針は南を指すようにできているのだ。何故なのかはよく分からないが、古代中国の五行思想では南は赤とされているので、まぁそういうことなんだろう。

因みに北は黒、東は青、西は白、そして中央は黄色と割り振られている。
(そうすると、北を指すのは黒い指針でなければならないのだが)

この羅盤を買うときに、「北と南を指す向きが逆になっていますのでご了承ください」というメモが貼ってあったが、お店の人はそれが仕様だということは知っていたのか、はたまた知らなかったのか。まぁ多分、後者だろう。だから、あんなに安かったに違いない。

では早速、今住んでいる仮の宿を占ってみることにしよう。
風水では「気」の入り道である入り口、つまり玄関の向きが重要である。


いざ、実占(実践)

な、なんと!どうやら我が渓有亭は北東向き玄関のようである。うすうす、そんな気はしていたが、やはりそうであったか。北東すなわち艮(うしとら)、いわゆる鬼門である。

【鬼門】きもん
陰陽道で、鬼が出入りするとされる不吉な方角。
鬼門の反対方向の南西は裏鬼門と呼ばれ、やはり忌み嫌われる方角。
入り口や風呂、トイレなどを配置するのは良くないと云われる。
古代中国の地理書『山海経』に「北東を鬼門とした」という話があり、おそらくこれが始まりか。
北東から吹く季節風のことだとか、北方の騎馬民族のことを意味しているなど諸説ある。

中国語で「鬼」は幽霊、亡霊という意味。
日本語で云う鬼は「魔鬼」や「鬼怪」とか云うそうだ。

また、人を馬鹿にしていうときにも使われることがあるようだ。
例:酒鬼(のんべえ)、賭鬼(ばくち狂)

余談だが、風水では北から山を越えて流れてくる「気」を南の水で受け止め溜めるというのが理想とされている。この南北軸は生命のエネルギーの出入りする経路であった。そのため、神社の鳥居というのは大抵、南向きなのだという。寺の山門もそうらしい。確かに、南向きは日当たりがいい。太陽に生命のいぶきを感じるというやつだろうか。というより、日本神話にでてくる太陽を神格化したアマテラスに通じる訳か。

マァ玄関が鬼門だからといって別に絶望するような僕ではない。
洒落がきいていて面白いじゃないか、と思わずにやりとする方である。

あの安倍晴明も御所の鬼門にあたるところに住んでいて鬼などが京に入るのを防いでいたというからますますわくわくするというものだ。

結局、家の向きしか測っていないが、どうせ鬼門なのだからいい結果なんぞでない。
「凶」ということで、終わり。


おや、裏鬼門に風呂とトイレが。
くけけけ。


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